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Beauty Source キレイの魔法

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クレア1854『花』

クレア 1854
『花』

私はどこに行ってもあの方に出会う。
オペラ座で生徒にレッスンをつけているときも、
舞台のそでから、客席を眺めているときも、
ブローニュの森に誘い出されるときも。

レッスンのピアノの音が鳴り響き、旋律のなかに僅か数音、
あの方の曲と同じものを聞いただけで、
ボックス席につく貴族たちの中に、黒ビロードと金糸の装いを見ただけで
(彼らは浮かれたおもわに仮面をつけていることさえあるのだもの。)
踊り子たちが目的の、自称「クレアの崇拝者たち」の見え透いた甘言に
我と我が身を任せている自堕落さから、ふと呼び戻される瞬間にも・・・。

あの方は明け方、私の部屋へ忍んでこられることがある。
闇に紛れて、貴婦人や美しい寡婦の枕もとに声の媚薬をふりまいてこられた後に。
パリやロシアにいたときもそうだったけれども、特にここ、
バイエルン公爵のお城では少し大胆になっていらっしゃるようだ。

うまくいかなかった次の朝はいつもに増して皮肉な言葉を発されるから、ご機嫌斜めとすぐわかる。
上首尾に終わった夜は、高揚した気持ちを抑えかねるようにすぐ隣から、
部屋の中を歩き回ったり、低く歌いながら書き物をする音が聞こえてくる。
あるいはそっと、私の部屋へ。

いつでも美しく優しいミューズが必要なのは、芸術に身を投じた方にありがちなこと、
オペラ座でも、しょっちゅう目にしていることじゃないの、しょうがないのだわ。
ベットの中の私は、そのことを半身で理解しつつ、もう半身をちろちろと炒られながら、
あの方がゆっくりとマントをはずす音を聞いていた。

今夜は、ご自分の行動に少し酔っていらしたよう。
あの方は静かにベッドサイドに腰を下ろし、黒革の手袋をしたまま
静かに私の、額から流れる髪ひと筋を手にとった。
しばらくそれをもてあそび、またもうひと筋を手にしてゆかれる。
密やかな手の動き。
身を固くして耐えてはいたけれど、あの方はとっくに私が起きていることに
気づいていたに違いない。

「 まだ引き返そうとしているのか
  振り返ろうと無駄な抵抗を
  駆け引きはもう終わったというのに」

その夜のお相手にかがせたものと同じ媚薬が、耳に届く頃には
私は観念してしまうことを学ぶのだ。

翌朝には涼しげな様子で、顔をあわせるあの方。
「ルイーズはなんとか歌えそうだけれど、歌手には向いていないようだね。
ピッチが安定しそうもないし、高音域低音域、ともに極上とは言い難い。
歌いやすいように、祝福の曲には少し手を入れておいたよ。」
「ありがとうございます。」
「日向に植えるべき花は、日向に、だな。これはシシーも同じことなのだが。」
「どこまでも日陰に向く花もありますわね。」
「もちろんだ。どこに咲く花も、それぞれに美しい。」

朝(あした)の薔薇に、夕べの百合、今宵はどんな花を摘まれるのかしら?
もちろん、あの方がいくら花を愛でようと何をしようとかまわない。
どこであろうとも、あなたの咲く場所に私も咲こうと決めたのだから。


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